ミニ自分史

   
1948年に横浜の下町で生まれました。団塊の世代です。
汚い身なりをして、二本鼻を垂らしながら、地域のガキ大将集団の一番年下として、頑張りました。

幼稚園にも保育園にも行かず、やっと自分の名前がひらがなで書けるという程度で小学生になりました。
通信簿はひどいものでした。つまり馬鹿でした。
少しできるようになったのは、小学3年生の頃からでした。図工と算数が得意でした。
小学5年生でようやく利口になりました。クラスのエリート集団の一員になれました。

中学からは、父親の転勤で、千葉のド田舎に行きました。勉強は横浜の方が進んでいました。そこで、学年のトップになってしまいました。
二年の時に新しくできた工業団地の新しくできた学校に移りました。
高校受験は千葉の名門高校を受けましたが、何故か落ちました。そこで、千葉の奥地から津田沼まで通うことになりました。

高校では、生徒会で活動しました。
遊びすぎて、出席日数が足りず、危うく留年になるところでしたが、3年の3学期にまじめに学校に行ったので、どうにか卒業できました。

大学は中央大学。文学部は社会学です。
ところが、大学に入った途端に、学園闘争。
1年の冬から3年の末まで、授業がありませんでした。実に恵まれた学生生活を送っていたわけです。
4年になり、卒業論文を書きました。参与観察でのフーテン研究でした。これが恩師の那須宗一先生に褒められて、大学院に進むことになりました。本当は、ただ、働きたくなかっただけです。

大学院では、アノミー論という訳の分からない修士論文を書いて、就職がないので博士課程に進みました。
オーバードクターになっても、就職先が決まらず、「これで俺の人生終わりかな」と思っていたところを、大正大学の柏熊岬二先生に救われて、大正大学の教員となりました。32歳のときのことです。

10年後に、中央大学から「戻って来い」と誘われて、中央大学文学部社会学専攻に移ることになりました。それが今から25年以上も前のことです。
 



 
 ひとこと
 妻一人、子ども二人、孫五人。
8月生まれの獅子座、O型。
趣味は寝ること。朝寝、昼寝、夕寝、夜寝、ごろ寝、うたた寝、添い寝、寝ることなら何でも大好き。
次に好きなのが酒。日本酒でも焼酎でもウイスキーでもビールでもワインでも、なんでも結構。
座右の銘は、「快食 快眠 快便 これさえあれば 人生 うはうは」。

                                                       2017/01/01